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もらい泣き 

 オシムさんが泣いています。

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 オシムさんは、別府にとってヒーローです。
 憎悪、怒り、偏見、人間のあらゆるネガティブな感情は、理性によってコントロールすることが可能であり、融和と共存による平和の道は、知恵によって導かれるのだ、という理念を体現されている方だからです。
 敬愛してやまない人物のうれし涙をみるのは、こちらの胸が熱くなるほど嬉しいものです。

 オシムさんの故郷ボスニア・ヘルツェゴビナ、建国21年目にして、初のサッカーW杯出場決定です!

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 今回はじめて知りました。ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗です。

 W杯予選の最終戦で本選出場を決めて、ボスニアに凱旋帰国したスシッチ監督の記者会見での第一声は「残念だが、一部の選手たちはもう招集されないだろう。帰りの飛行機の中で、代表選手としてふさわしくない言動があった」というジョークだったとか。
 その場で、選手たちは歌を合唱して切り返して、大爆笑になったそうですが…

 

 ボスニアの人たちのジョーク好きは筋金入りみたいです。
 冗談にせずに生きるには、現実は過酷すぎるから、かもしれませんが。

 スシッチ監督をはじめ多くの関係者が、まずオシムさんに対する感謝の言葉を述べていたそうです。
 ボスニアが、各民族の代表3人が会長を務めるサッカー協会の会長3人制を咎められて、国際大会への出場資格停止処分を受けたのが2年前。その後、サッカー協会の正常化委員会座長に就任して、獅子奮迅の働きで、処分を取り消させることに成功したのがオシムさんだったからですね。

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 W杯出場決定記念の特番?スシッチ監督と

 オシムさんの涙をみて、四半世紀前、オシムさんが、当時のユーゴスラビア代表監督を辞任した記者会見のシーンを思い出さずにはいられませんでした。
 それはボスニアの首都サラエボが、セルビア勢力に包囲されたとき、セルビアの首都ベオグラードで発表されたわけです。
 「監督辞任は、私がサラエボのためにできる唯一のこと。思い出して欲しい。私はサラエボの人間だ」

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 それは、やがてワールドチャンピオンになるはずだったユーゴ代表チームの解体が決定的となり、同時にユーゴスラビアという多民族による連邦国家そのものが、内戦の泥沼を経て消滅への道をたどり始めた象徴ともいうべき事件だったわけですが…

 いまオシムさんは、ボスニアのW杯出場決定を受けて
 「日本がW杯で優勝する以上のものだ。多くの問題が解決できる」と、その喜びを語っていらっしゃるそうです。
 かつて互いに血を流しあった3つの民族が、肩を組み合って、1つの代表を応援する光景が、オシムさんには見えているのでしょう。
 25年のときを経て、哀しみの涙を、喜びの涙にかえた、偉大な人物の足跡を思わずにはいられません。
 オシムさんにとって、特別の縁をもつ2つの代表チーム、ボスニア・ヘルツェゴビナと日本、W杯でも最高の舞台で戦うことを夢想してしまいます。


 
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trackback: -- | comment: 18

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この記事に対するコメント

胸に響く記事でした。

ヨーロッパの歴史には疎くても
ボスニア、セルビアなどは、
民族間の憎悪が容易に戦争に発展する、
非常に難しい地域だという認識はあります。

でも日本にとって、そんな地域の象徴が
不屈の人、オシム元監督。
ボスニアの人たちのサッカーに賭ける思いとともに
その身を呈した活躍を大切に胸に刻みたいです。

takae h #A5.soH/6 | URL | 2013/10/19 16:23 * edit *

Re: takae h さんへ

こんばんは。

バルカン半島での出来事は、日本との地理的な遠さや、マスコミの報道量の少なさなどから、別府にとっても、どこか遠くの出来事のように感じられていました。

でも、ピクシーや、オシムさんの存在と日本での活躍が、彼の地の出来事を、真剣に向き合わなければならない事柄だと気づかせてくれました。

その意味で、彼らに、とても感謝しています。

別府葉子 #- | URL | 2013/10/19 19:19 * edit *

情けないことに、このことを別府さんの記事で初めて知りました
私は以前ゴイティソーロのサラエヴォ・ノートを読んで
国際社会の不条理に憤ったことがありますが
ボスニア・ヘルツェゴビナも段々と、本当に一歩一歩
着実に前に進んでいるんですね

大変感動的な記事をありがとうございます

niccoro #- | URL | 2013/10/20 13:20 * edit *

凄く感銘を受ける記事を有り難うございます!
旧ユーゴスラビアは70年代とっても憧れの地でした、
日本が未だワールドカップを夢見、憧れを抱いていた時代
ワールドカップで活躍してました、
ユーモアに富み親しみやすい国民性と言う
イメージで捉えていたからですが・・・
その後の民族紛争、内戦には衝撃を受けました、
世界の中で戦争が終わらないのは誠に残念ですが
今回ボスニアとして世界の中で活躍してくれる事を
願うと同時に期待したいです!

SUN太郎 #xo2ligvU | URL | 2013/10/20 13:36 * edit *

初めまして

オシム?ってもしかしてあのオシム監督?
と思いましたが、やあっぱりそうですよね。^^;
こんな素敵なお話が・・・感動で胸がいっぱいです。
いつの時代でも誇りは忘れてはいけませんね。

私は徹底的にスポーツ音痴です。^^;

音楽家とか声楽家とか憧れます。
無いものねだりです、はい。

訪問ありがとうございます。

シェイド #iAn.OV3g | URL | 2013/10/20 16:16 * edit *

驚愕

じぇじぇじぇ、なんで葉子さんがこんな記事を書けるわけ?
ブハボー!スプロンディド!メフヴェイユー!

豊栄のぼる #KzrSmvf2 | URL | 2013/10/21 01:52 * edit *

ありがとう

良い記事でした。ホントにありがとうございます。

1990年ワールドカップ・イタリア大会でしたかね、
優勝候補のオシム監督率いるユーゴスラビアチームでしたが
絶対的エース、ピクシーのPK失敗などがあって、不運にも準々決勝で
敗退してしまいましたが、同時に母国ではセルビア・コソボの内乱勃発
で、選手の多くは帰国出来ず難民化し、イタリア国内の収容所へ...という
事件を鮮烈に覚えています。

日本ではやがてJリーグという受け皿が出来て、オシム氏やピクシーを長期間にわたり
招聘できたのは、日本サッカー界にとっても本当に幸運だったと思ってます。

来年のワールドカップが俄然楽しみになりましたね。

pipco1980 #- | URL | 2013/10/21 12:53 * edit *

誠にめでたい

こんにちは。
いつも楽しく拝見させて貰っております。
オシムさんがジェフで監督をなされていた時のチームはわくわくするようなスペクトラムサッカーでした。
でも観客はいつも6割位の入りで、遠くて試合場にいけない自分は、テレビを見ては歯噛みしていたことを思い出します。
いつの日にか、ボスニア・ヘルツェゴビナに行ってきたいものであります。

すえ #mQop/nM. | URL | 2013/10/22 06:02 * edit *

おはようございます^^
いつも訪問ありがとうございます。。。

オシムさんの涙。。。僕らじゃ分からないほどの嬉しい涙
だったんでしょうね。。。

W杯で強豪国を撃破してもらいたいですよね。。。

りべろ #- | URL | 2013/10/22 08:54 * edit *

Re: niccoro さんへ

日本では、東ヨーロッパの情報というのは、少ないですよね。

別府も、オシムさんという存在がなければ、旧ユーゴスラビアの国々や、そのニュースに関心を持つこともなかったと思います。

情報が少ないと、何が起こっているか、何が問題なのか、何が原因なのか、ちっとも分からないし…

ゴイティソーロの「サラエヴォ・ノート」は読んだことがありません。たしか、ずばりサラエボが包囲されていた頃のドキュメンタリーではなかったかと…

別府葉子 #- | URL | 2013/10/30 17:08 * edit *

Re: SUN太郎 さんへ

こんにちは。

別府には、ユーゴスラビアの印象って、あんまり残ってないんですよね。
なんか教科書でチトー大統領って、名前を見たような気がする、という程度で。

ピクシーや、オシムさんの存在が、はじめて彼の地への興味を抱かせてくれたという感じですね。

それにサッカー日本代表って、セルビア(ユーゴ)とたくさんテストマッチしてますよね。それって、セルビアが国際的に孤立していた時代に、偉大なJリーガー、ピクシーの母国として、日本だけは、セルビアを受け入れていたからじゃないのかな、と思っています。

別府葉子 #- | URL | 2013/10/30 17:28 * edit *

Re: シェイド さんへ

こんにちは。コメントありがとうございます。

オシムさんに、はじめて興味を持ったのは、代表の監督に就任された頃でしたけど、知れば知るほど味があると申しましょうか(笑)
真面目な話、人間として「すご過ぎる」って感じです。

音楽の世界で、オシムさんみたいにすごい人って誰でしょう?
う~ん、また考えときます。

別府葉子 #- | URL | 2013/10/30 17:35 * edit *

Re: 豊栄のぼる さんへ

こんばんは。

ありがとうございます。

オシムさんに興味を抱き、オシムさんに関係のありそうな本を読み漁った結果、いろいろなことを知ると同時に、オシムさんを人生の師と敬愛するようになったわけです。

別府葉子 #- | URL | 2013/11/02 21:43 * edit *

Re: pipco1980 さんへ

コメントありがとうございました。

イタリアW杯で、ピクシーが決めたFKからのゴール、美しいです(ピクシーの DVD に入っていました)

この選手が、長く日本でプレーしてくれたことは、本当に奇跡に近いような嬉しい事実ですね。

セルビアが、ブラジルW杯に参加できないのは残念です。

別府葉子 #- | URL | 2013/11/02 21:53 * edit *

はじめまして

訪問者リストから伺い、サッカーのカテゴリがあったので、覗いてみたら、オシムの事が書いてあったので、コメントさせていたただきます。

私もオシムを知ったのはジェフ時代に率いてた頃で、90年イタリアW杯で旧ユーゴを率いてベスト8に導いた監督と聞いた時は、こんなすごい日本に来てくれたのか?って思いました。そして日本代表を率いる事になったと聞いた時はどんな感じになるんだろうって期待してましたが、志半ばで倒れてしまい、非常に残念に思いました。オシムで2010年W杯を観たかったのに。今でもオシムが率いてたらどこまで行ってたかなって思ってしまいます。ベスト16でパラグアイとのPK戦になりましたが、その時はロッカールームに行って、勝敗の行方を観ないのかなって思いました。

そして今回ボスニアがW杯の出場権を得て、オシムはどう思ってるのかなって思いましたが、涙が出る程嬉しかったんですね。自分の国が戦火に見舞われ、家族が離れ離れになった事もあったそうですが、それでも自分の国を思い、こうやってW杯出場権を得た事が感慨深いものだったんでしょうね。

お忙しいのに、私の拙いブログを訪問してくれてありがとうございます。また来ますね。

楓良新 #ncVW9ZjY | URL | 2013/11/03 00:39 * edit *

Re: すえ さんへ

こんばんは。

オシムさんが元気で、チームを指揮されていた頃ですね。

別府もジェフの試合は見に行ったことがありません。今ほどオシムさんに深い関心をもっていたわけでもなかったし…

今となってはとても残念な気がします。

別府葉子 #- | URL | 2013/11/09 17:28 * edit *

Re: りべろ さんへ

こんばんは。

ブラジルW杯の楽しみが増えましたね~

オシムさんのコメントとかも、きっと報道されますよね。

別府葉子 #- | URL | 2013/11/09 17:38 * edit *

Re: 楓良新 さんへ

オシムさんが病に倒れて、代表監督の座を退かれたことは、返す返すも残念なことでしたねー

チーム作りの意図や方針(それらは、たいてい後になってから理解できるものでしたが)が分かってくると、まるでチェスの名人の考えの軌跡をたどるような楽しみがあって、このままW杯までチームを指揮していると、どんなチームが現れるのかしら、とワクワクさせられていました。

永遠に完成することがなくなってしまった名画とでも言うべきでしょうか…

別府葉子 #- | URL | 2013/12/22 14:44 * edit *

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