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ひええ~ 

 忘年会の季節ですね。
 今日は先日、別府が参加した忘年会で聞いたお話です。
 忘年会に来ていたAさんとBさんとは、とある地方の教育大付属小学校の同窓生、しばらくぶりに会って、小学校時代の昔話に花が咲いていました。

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 (注:写真はイメージで本文とは関係ありません)

 そのうちAさんが言い出したのが「うちの学校、ヘンなクラス分けしてたやろ」というお話。男子は大人しい優等生タイプは1組、活発なガキ大将タイプが3組、女子はその逆、そして2組はそのどっちでもないタイプだったというのです。
 4年生まで2組にいて、5年生になるときのクラス替えで1組になって、そこでAさんとクラスメートになったというBさんは、ピンと来ない様子で、しばらく考えていましたが、やがてハタと膝をうって、腑に落ちた様子。
 「なるほど、言われてみれば、その通りや。道理で4年生までクラスマッチの度にボロ負けやったはずや。男も女も元気のええ奴がおらんかったわ」
 「なんか、実験でもやっとんたんかな?」
 「そやなー」

 そのうち話は、お二人の6年生の担任だった先生のお話へ。
 「結構、厳しかったよなー」
 「そうそう、教室に竹の棒置いてて、よそ見してたら、それで頭ポーンと叩かれとったな、あれ一瞬、目の前暗うなるねん」
 ひえー、体罰だ。今だったらありえないでしょー
 「そう言えば、3組の担任だったY先生とか、メチャクチャやったよな。ほら、Tが宿題してなかったとき」
 「おー、あれなあ、ホンマにただの犯罪やったなー」
 その学校では小学校から教科ごとに教師が別だったそうで、Y先生は体育と国語を担当していたそうです。
 なんでも、ある日、宿題の作文を書いてきていなかったT君、たまたま当てられて「やってきてないです」と返事したとか。
 「『何でやってこんのや?』言われて、Tのヤツ『面倒くさいからやってきませんでした』言いよったからなぁ」
 「Y先生、顔、ユデダコみたいに真っ赤になっとったな」
 「5、6発は張られとったよな、顔。無茶苦茶や」
 「最後、ぶっ倒れたもんな、鼻血出して、床、血の海やった」
 「宿題してないとき、『面倒くさかった』言うたらいかんのや、いうことだけはよう分かったわ。心臓凍ったもん」
 「建前と本音の使い分けはせんといかん、言うんが僕の教訓やったね」

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 ひええー、○○付属小学校、いったいどんな教育やってたのぉ。
 ホントに日本の話ですか?
 でも、その教育を受けたお二人は、お二人とも年を経て温厚な思慮深い紳士に成長しておられるしなぁ。
 謎だわ…


 
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この記事に対するコメント

おはようございます

私達の中学・高校の頃は皆同じですよ。

先生も遠慮しないし生徒も食って掛かっても、親は学校で厳しくされることが安心だったのです。
私の中学の担任の先生は、いつも剣道の竹刀を持って教室に入り、社会科の先生である時は教壇の上で戦国時代の真似事をやってくれたりしていましたので、この先生とはずっと年賀状を書いていました。相模原に来てからは疎遠になりましたが。
あの頃が懐かしいです。先生と生徒の心が繋がっていましたし、尊敬できる方も沢山居ました。

今はPTAや教育委員会が煩くて何でも体罰にしてしまいます。
子供の為の教育が学校でも狂っています。
感情で叱ることは厳禁ですが、その子の為を思う心からの仕置きはやるべきだと思います。
違いますか?
だから先生も心の教育ができず、卓上の勉強しか教えられないのです。

七美子 #EzEikaXI | URL | 2010/12/11 09:43 * edit *

Re: 七美子さま

そうですね…
別府の考えを率直に申し上げます。
まず小学生の頭や顔面を叩いたり張ったりする行為が、教育的な行為として適切だとは思いません。
これらの行為にはあからさまな「暴力」の側面が感じられるからです。
AさんやBさんのように、このような罰を受けた過去の体験を笑って話せる方も多いと思いますが、他方で、そのような体験に心に深い傷を負ってしまうという方もいらっしゃるでしょう。
問題は、後者のような方も存在するということです。
そして、生徒のためを思って愛情をもって接するなら、体罰も許されるという考えにも全面的には賛成はできません。
力を行使する側に、「生徒のためを思ってする行為か否か」という判断を委ねることの危険性を感じるからです。
別府は「目的の正当性が手段を正当化する」のではなくて、「手段の正当性が目的の正当性を担保する」のだと考えます。
もちろん今日、教育の現場でモンスターペアレンツや教室崩壊といった深刻な問題が存在することは知っています。そして、その原因の1つとして「体罰に対する過剰なまでの拒否反応」の風潮が教育現場を萎縮させているのではないかという問題は検討されるべきでしょう。
ただ私は、今日のように「体罰に対する過剰なまでの拒否反応」が一般化したことには、「体罰必要派(ネーミングとしては?ですが)」の側にも責任があるように感じています。
つまり人権意識の熟成に伴って体罰に対する強い疑問・反対が台頭してきた際に、これに対する反論が「生徒のために愛情をもってする行為であれば体罰は許されるし、むしろ必要なのだ」といった抽象的で、かつ精神論的にものにとどまってしまっていたことが、体罰絶対否定派に、力を与えてしまったのではないか、と思っているのです。
教育という子供の人格形成にかかわる重要で、しかも大変デリケートな問題を考える際には、教育現場における個々の教育方法についての必要性と許容性を具体的かつ緻密に検証するといった地道な作業が欠かせないのではないでしょうか。どのような場面では、どのような方法が必要となり、その方法が許容されるための要件は何なのか、という議論を1つ1つ積み上げていくべきなのに、そのような議論が、これまで不足していたのではないかと感じるのです。
その膨大な作業の積み重ねの先に、必要で、かつ許される体罰(体罰という呼び方もどうかと思いますが)というものが世間のコンセンサスを得る日があるのかもしれないなと思っています。
生意気なことを申し上げました。ご寛恕くださいませ。

葉子 #- | URL | 2010/12/11 11:36 * edit *

NoTitle

コメントありがとうございました!

僕の学校ではそのような事は無かったのですが。
先生が生徒に教育する上で暴力があるのはおかしいと思います。
それがトラウマになって何かを出来なくなったりするかもしれませんし・・・
ストレスが溜まるのはわかりますが、そんな事をするのはやめてほしいですね^^;

少し、おかしくなった・・・かな(汗

kaz #- | URL | 2010/12/11 16:48 * edit *

Re: kaz さま

こんにちは。
テストが終った後の休日は格別ですよね。
のんびり好きなことに時間つかってくださーい。

葉子 #- | URL | 2010/12/12 13:56 * edit *

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