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真田丸、ついにその幻の姿を垣間見せる 

 幻の真田丸を求めて…
 いよいよ現地調査に突入です。

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 地図がないと、記事を読んで下さる方には「どこがどこやら分からん」ということになりそうなので、付近の地図に別府が歩いた基本的なルートをなぞった赤い線を書き入れてみました。
 地図上に書き入れた数字①~⑩が、以下の写真を撮った場所です。
 ではでは、スタートでございます。

 地下鉄「鶴橋」駅を降りて北へ。
 その名も真田山公園へ。
 写真①

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 高台になっている公園への階段です。風が気持ちいい~
 写真②

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 右手のグラウンドでは野球少年が走り、左手の花壇には豪華なお花が咲き誇っております。
 写真③

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 真田山公園を抜けて餌差町へ。
 この辺りを歩いていて、まず気付いたのは、この周辺がたいへんに起伏に富んでいることでした。至るところに階段や段差、スロープがあります。地図を見ただけでは分かりませんでした。
 写真④

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 地図上の④の箇所から西を向いて撮影しています。
 レーダーによる地中探索では、この通りからもう1本北にある通りにかけて幅40mにも及ぶ空堀の遺構が東西に伸びているそうです。ドキドキ。

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 広島市立中央図書館所蔵の「諸国古城之図『摂津 真田丸』」の図面で、砦の南側に沿って描かれている空堀に一致しているみたい。
 写真⑤

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 写真④の通りを突き当たったところを北へ。
 北に向かう途中、右手に見えるのが現在の大阪明星学園。まさに真田丸の本体の跡地を考えられているそうですよ。
 写真⑥

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 地図の⑥の場所から西南方向を向いて撮っています。
 写真右端を奥の方に伸びている道、この辺りから北側は大坂城の外堀だったと考えられているようです。
 写真⑦

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 大阪明星学園の北側の道です。
 同学園の敷地が道路より3~4m高くなっていて、その法面(のりめん)はそびえ立つ壁のようでしょう。
 そしてこの道は、「諸国古城之図『摂津 真田丸』」の図面で、砦の北側に沿って描かれている空堀のあった位置によく符合します。
 写真⑧

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 その道を東へ。そのまま東を向いて撮った写真です。
 正面の白い建物の左に壁のようなものがありますね。
 写真⑨

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 近くによると、高さ5mはありそうな石垣様に作られた高台の法面です。
 写真⑩

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 この法面は、角をまがって南側に伸びていきます。
 「諸国古城之図『摂津 真田丸』」の図面で「寺」とされている場所の1番北の角地に符合しています。
 う~ん、これはどうも間違いないって感じがしますよね。
 史料によれば、信繁が、秀頼に請われて大坂城に入ったのが1614年の10月9日、真田丸の闘いが始まったのは同じ年の12月4日と言われています。これだけの短期間で砦を築いたわけですから、やっぱり元からあった構造物を利用したと考えるべきなんだろうなって気もしますしね。
 往時の姿を、さまざまに想像しつつ…
 (さらにつづく)



 
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