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思い出紀行 

 往年のロック少女が、シャンソンへシフトしたのは何故?というコメントをいただいて、ふと昔のことを思い出してしまいました。

   MC900446066_2015031808120944f.jpg

 別府が本格的にギターを始めたのは、高校のギター部に入ったときからでした。
 弾いていたのはクラシックギターです。
 根が凝り性なんでしょうね、大層熱心に練習しておりました。

 MC900434773[1]

 そんな頃、先輩から悪の道?に誘われまして(笑)
 ロックバンドでエレキベースなぞ弾くようになったわけです。
 練習のために貸しスタジオに通ったり
 ライブハウスでライブをやったり…
 でも別に、不良少女って訳じゃなくて

     AJ-Bass-Guitar.jpg

 両親には心配させたくなかったので、ライブに来てもらったこともありました。
 高校生バンドが集まってやってたライブでしたね。
 しっかりやっとるんやなと信頼してくれたみたいでした。
 うちの両親は公務員でしたからね、最初、娘がライブハウスに出入りしていると聞いただけで、だ、大丈夫なのか?というところはあったと思います。

     MC900424466[1]

 大学に入ってからも、クラシックギターと、ロックとの2足のワラジは続きました。
 でもボーカルデビューは割と遅くて、20歳くらいのときだったと思います。
 ボーカルをやってた子が体調を崩したときに、ちょっとやってみてと言われてやったら、おー、いけるやんってなって(笑)

 MC900252879.jpg

 でもそんなロックな時代は大学を卒業してしばらくまででした。
 週末は梅田でストリートパフォーマンスとか、難波にも、よく出かけたけど…
 そんな時代は、ふっつりと終わりました。
 そのころは職業としてのミュージシャンをリアルにイメージ出来なかったのです。
 「自称ミュージシャン」を見過ぎたせいかもしれません。
 ミュージシャンを名乗ることは簡単ですが、何らかの形で音楽を生活の基盤に出来るほど、需要のある音楽を提供し続けることは至難の業だということは、直感が教えてくれました。

 「シャンソン」に辿りつかなかったので、つづく…



 
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 15STチラシ03

 今日の1曲は「夢のあと」です。別府のオリジナル曲です。

 
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この記事に対するコメント

NoTitle

こんばんは
何となくですけれど、ロックに、関心を持たれてるのではないかな~と思っていました^^;
ロックも音楽ですから(^^)

ポテチG♯ #- | URL | 2015/03/19 02:17 * edit *

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# |  | 2015/03/20 16:37 * edit *

職業としての「藝術家」

 ほう、ストリートパフォーマンスをやっていましたか。梅田や難波であれば、お姿をお見かけしたかもしれませんね。

 主に藝術の分野は「職業」を自称できる。私も藝大出身のせいなのか自称する人をよく見かけます。
 たった一回だけ作品が雑誌に掲載されただけで「漫画家」を自称する人なんかもいました。

 そんな事が罷り通るのであれば、私なんかも某週刊誌に雑報記事を何度か書いたことがあるので「ジャーナリスト」を自称できる。
 商業誌ではないがある大手の環境保護団体から依頼されて写真を撮影し機関誌に載りましたから「写真家」も自称できる。
 また政治団体や市民団体で代表や役員を務めたことがあるので「活動家」も自称できる。
 今は映画ブログを書いているせいか、たまに「評論家」なんて呼ばれる事もある。

 しかし、仮にそういったものが生業(なりわい)にできたとしても、私は「〇〇家」なんて言いたくないし呼ばれたくもありません。自称屋を多く見過ぎたせいかもしれません。
 私はむしろ熔接工とか旋盤工とか印刷工などと呼ばれたかった。

 「藝術家」は聞こえは良いですが、たぶんに資本主義のアダ花かもしれませんね。この分野ほど経済や市場があったればこその職業です。
 文明が滅んでも、人類が存続している限りは農業や漁師などの職業は生き残るが、例えば映画監督は消滅する。

 黒澤監督みたいに自分の名前がブランドになり、自分の名前だけで市場が形成されれば好き勝手創作活動できる「巨匠」となる。
 そうでなければ文壇やマスコミやレコード会社など「業界」が抱える市場頼みになり、業界の市場に沿った活動をする必要に迫られる。
 知人の末端の漫画家やイラストレーターは「フリーランス」として扱われ気分的には自由人の誇りをもてるが、実態は業界に安く使い倒される。非正規労働者よりも悲惨です。
 不満を言おうものなら、先方から「好きで始めたんやろ」「自分の意思だろ」と殺し文句を言われる。

 私は藝術は好きですが、「藝術家」は好きではありません。仮に小説や評論で文壇のスターになれたとしても、「作家」なんで断じて名乗ってやるもんか、「作家」と呼んだら名誉毀損で告訴する、なんて事を考えています。(笑)

 但し、「国家主権者」と「言論人」は積極的に自称します。主権者は最高法規である憲法で定められています。公共の場(インターネットも大いに公共の場である)で発言すれば何人(なんぴと)も言論人としての責任が問われるからです。

晴雨堂ミカエル #- | URL | 2015/03/20 18:23 * edit *

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# |  | 2015/03/21 15:31 * edit *

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