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鹿児島編 その6 せごどん考 

 鹿児島に行って感じたのは、西郷さん(せごどん)の絶大な人気です。
 まさに「郷土の誇り」ですね。
 そんな西郷さんの銅像は、鹿児島市立美術館の斜め向かいにありました。

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 西郷さんの銅像というと、東京上野の西郷像が有名ですが、上野の西郷さん、ご本人には似ていないという説があるみたいです。
 そう言われるようになったきっかけは、銅像の除幕式に招かれた西郷さんの未亡人イト氏が、夫はこんな人ではなかったという意味の発言をされたことだったようですが…

 西郷さんは、写真や本人を前にして描かれた肖像画が1枚も残っていない人らしいですね。
 西郷さんの画としてよく知られているお馴染みの画も(まるで写真のように精密に描かれていますが)、ご本人とは会ったことがない画家が、西郷さんの弟さんと、従兄弟の方の写真を参考に、両者のパーツを組み合わせて描いたものだとか。

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 ですから銅像が本人に似ていなかったとしても仕方ないのかもしれません。

 ただ別府は思うのですが…
 上野の西郷さん、身なりこそ、とても庶民的ですが、肩をそびやかし、開いた両足で大地を踏みしめ、はだけた胸を昂然と張っています。
 明治維新の中心的役割を果たした後、野に下って己の道を貫いた、自由奔放で、豪放磊落に生きた豪傑という、ともすれば独り歩きしがちなイメージをそのまま体現しているように見えます。

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 イト氏が、こんな人ではなかったと言われたのは、顔立ちのことだったのか、それとも、いささかくだけ過ぎているようにも思える、そのいでたちに納得がいかなかったのか、その真意は不明ですが、そもそも、この像がイメージさせる人物像そのものに、本当の西郷さんを知る人には、どこか違和感を覚えさせる部分があったのではないでしょうか。

 西郷さんの考えがまとめられている「南洲翁遺訓」を読みながら、湧いてきた西郷さんのイメージは、己を厳しく律し、公正と無私のうちに、天の道理が示す道を粛々と歩むことを良しとした、武骨で生真面目だけど、温かいものを宿した人というイメージでした。

 西郷さんの写真や肖像画が残っていない理由を、西郷さんが写真嫌いだったからとか、暗殺をおそれ顔を知られないようにしたからだという説明がなされることがあるようですが、本当は、もっと単純なことだったのではないでしょうか。
 肖像画というものには、殿様、貴族、偉人といった人々が自分を広く世に知らしめたり、後世に残すといった、自らを誇り、自分を飾るという意味合いが強いように思えます。写真を撮るということが、珍しいことで、一般の庶民とは無縁であった当時、写真にもまた肖像画と同じような意味合いがあったのではないかと思えるのです。
 西郷さんは、自らを誇ったり、自分を飾ったりすることに、およそ興味がなかったから、肖像画も描かせようともしなかったし、写真を撮ろうとも思わなかった、それだけのことなんじゃないんでしょうか。

 「南洲翁遺訓」にしても、西郷さん自身が書き残したものではなくて、旧庄内藩の人々がまとめたものだそうですね。
 明治維新の際、幕府軍として、薩摩軍に敗れた庄内藩は、幕末からの行きがかりから、薩摩による仮借のない報復を覚悟したそうですが、逆に、敗者を労わり、礼をもって降伏を受け入れた西郷さんの態度に深い感銘を受け、多くの旧藩士が、その後、西郷さんに師事するようになったのだとか。

 西郷さんは、明治政府内での政争にやぶれ野に下った後、薩摩に帰って私学校で若者たちの指導にあたりますが、西郷さんの力を恐れた政府側の企てにより、挑発をうけた若者らが暴走してしまったため、自ら、彼らの行動の責めを引き受けて決起し、西南の役で亡くなります。

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 装備に勝る官軍の前に敗走し、僅か300余名となった軍勢を率い、最後の数日間を過ごしたという洞窟にも行ってきました。

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 ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな

 西郷さんの死を悼んで、勝海舟が詠んだ歌だそうです。

 鹿児島の西郷像は、ご本人に似ていると言われています。
 もっとも1枚の写真もないまま、ご本人が亡くなってから60年も経ってから、作られた銅像を、どうやってご本人の顔立ちに似せられたのか、と考えると、ホントかな~って疑問は残りますね。

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 ただ、どんなときにも驕ることなく、一切、栄華や名声をもとめることもなく、市井の中で質素に暮らし、情けに篤く、無駄なことは口にせず、律儀に居ずまいを正しながら、黙々と自らを律して、運命に殉じた信念の人の像、そういった人物像は、見事に表わされているように感じました。

 もっとも大切なものが満たされているってことですよね。


 
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