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橋の向う側 

 シャンソン歌手・アダモの歌った曲の中に「橋の向う側 アミラとボスコ」という曲があります。
 別府は、むかし人に頼まれて、この「アミラとボスコ」に訳詩を付けたことがあります。

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 実は昨日のオシムさんの記事を書きながら、この曲のことをずっと思い出していたのです。

 訳詩をつける際に私が渡されたのは、この曲のフランス語歌詞くらいなもので、曲に関する情報はほとんどありませんでした。
 ただ曲中に出てくる地名は「サラエボ」、そして「セルビア」は敵として登場していました。また歌詞の内容からボスコがセルビア人青年、アミラがムスリム人女性であって、そして2人が愛し合っていることも読み取れました。
 そう、この曲があの悲劇的なボスニア紛争のサラエボ包囲戦を題材にとったものであることは明らかでした。

 東欧の現代史に詳しいわけではないので、少し調べてみたことも含めて整理します(正確でない部分はご容赦ください)。
 ユーゴスラビアは多民族・多宗教の連邦国家として成立していたわけですが、その中でもサラエボは最も民族の融和が進んだコスモポリタンな色合いを帯びた都市の1つだったようです。
 ユーゴスラビアは1990年頃から民族運動の台頭の中で解体の途を辿り、いくつもの国や地域に分裂していったわけですが、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年にサラエボを首都として独立を宣言。しかしこの地域の人口の3分の1を占めるセルビア系住民の多くはセルビアが主導する連邦政府からの独立に反対して、これに対抗し、結局、セルビア勢力がさらにボスニアから独立する形となって内戦状態に陥りました。
 これがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争と呼ばれた争いで、その争いの中で、サラエボは4年近くにわたりセルビア勢力によって包囲されたのです。
(オシムさんはサラエボの出身で、当時もサラエボに住み、そしてユーゴスラビアの代表監督を務めていましたが、たまたま他出していた折に、サラエボが封鎖されたため、サラエボに閉じ込められたご家族と離れ離れになったわけです。)

  アミラとボスコ 歩いてゆく
  手を広げて 向こう岸へ
  「どうか 撃たないで! ぼくらはただ
   愛し合ってる 君らとおんなじ若者…」
  橋の両側を 覆いつくした 恐怖と悲しみ 銃撃のカノン
  雨音のような銃声のデュオ 届かぬ夢 崩れ落ちる アミラとボスコ

 実話にもとづいた曲とされています。

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 この悲劇的な紛争の中では敵対する勢力の民族に対する「民族浄化」が行われたと言われています。
 合掌をささげます。


 
 いつも応援をいただきましてありがとうございます。
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